茨城県日立市の整体・カイロプラクティック

慢性腰痛 妊娠中や出産後に発症した腰痛、股関節痛 ぎっくり腰 足のしびれなら
 
   日立カイロプラクティック整体院
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日立市森山町3-1-35田村ビル102
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10:00~13:00
午後
15:00~20:00

日曜日
14:00~20:00

【電話受付時間】
9:00~21:00

【定休日】
水曜日
不定休


症状別の説明

































日立カイロプラクティック整体院ホームページにおこしいただきまして、ありがとうございます。

当院院長の原宏明と申します。

このページでは私の自己紹介をさせていただきます。





・昭和57年6月14日生まれの34歳 
 
・福島県双葉郡浪江町出身
 
・身長178㎝/体重72kg
 
・趣味はスポーツ。食べる事も大好き!
 

幼少期~整体師を志すまで

私は小学校3年生(9歳)から野球を始め、以後中学校・高校・高校卒業後の社会人野球と20年以上野球をやっています。

さらに高校卒業直後に友人に誘われてバドミントンを始めました。

すぐにバドミントンの楽しさに魅了された私は、仕事が終わった後に毎日2時間、そして週末は朝から晩まで体育館を駆け回るバドミントン漬けの生活を送るようになります。

その甲斐あってか、独学で覚えたバドミントンながら始めて2年後には大会で優勝するまでになり、野球とバドミントン二足のワラジを履いていました。



そうした生活を送っていた時、あの東日本大震災が発生。

当時福島県浪江町に住んでいて隣町で働いていた私は、今まで体験した事のない震度6強という巨大地震の直撃にあいました。



当時の職場は目の前が太平洋。

まさかあんな巨大津波が襲ってくるなんて事は露ほども思っておらず、職員会議で早退が認められたので会社を後にしました。この時、津波が襲う20分前・・・

帰路についたはいいものの、道路は損壊がヒドく大渋滞。

ラジオからは津波への注意喚起の放送が流れていましたが、車が一向に進まないので気持ちばかりが焦るのみ。一刻も早く海から離れたかった私は、思い切って車道から外れて田んぼの畦道を縫うように走り抜け、何とか海から離れる事ができました。



帰宅して家族と合流した私達一家は、震災当日の夜を近くの小学校体育館で過ごすことに。

絶え間なく続く余震に一睡も出来なかった私は、街中の様子が気になり浪江市街地の様子を見に行ったのですが、そこで異様な光景を目にします。

すれ違ったパトカーに乗っていた警察官は顔面全部を覆うマスクに全身白の防護服らしき姿をしており、私にはその時なにが起きているのかサッパリ分からない状態。

そのまま体育館に戻ると、校庭には沢山の消防車・パトカー・救急車が集まってきました。この時はまだほとんどの人が何が起きているのか分かっておらず、場は騒然としてきました。

そしてこの時、体育館から約10㎞先にある東京電力福島第一原子力発電所で重大な事象が起こっている事を知り、着の身着のまま更に別の学校体育館へ避難しました。



避難した体育館には、当時一緒にバドミントンをやっていた後輩も同じ体育館に避難していたのですが、偶然出会って私の存在に気付いた後輩はその場で突然泣き崩れました。

どうしたのかと訳を聞くと一言


「母親が見つからないんです・・・」


後輩の家は海のすぐ近く。後輩の母親は職場から家に向かっている時に津波に巻き込まれた可能性がある事を話してきました。

正直どんな言葉もかけられませんでした。


そこの体育館で一夜を過ごし、次の日から体育館の近くに住んでいた親戚宅に二泊しました。

親戚宅で初めて津波の映像を見た私は絶句。震災当日に職場から帰宅してきた海沿いの道は津波で消滅していた事を知り、寒気が収まりませんでした。

そして福島第一原発三号機の爆発もテレビで見る事となり、放射能という得体の知れない恐怖に襲われた私達家族と親戚一家は、それぞれ別の場所へ避難する事を決意。私達一家は茨城県に嫁いだ姉の元でお世話になる事になりました。


避難してしばらく経つと、いつまでも姉夫婦の元にいるのは申し訳ないと思い、茨城で仕事に就いて一人暮らしを始めました。


一人暮らしを始めて程なく、避難所で再会したあの後輩からメールが来ました。内容は

「原発事故の影響で捜索が遅れていましたが、母の遺体が見つかりました。ありがとうございました」



そして、故郷で一緒に野球をやっていた人から

「○○が津波にさらわれたようだ。遺体が見つからないので遺体なしで葬式を行った」

という話を聞き

’人間の命や明日など確約されているものではない。今この時を大切にしないでどうする‘

という思いに至り、整体の勉強を始めて現在に至ります。


茨城では当初野球をやっていたものの、新しい事を始めたいと思い2011年12月から
自転車ロードバイクを開始。

またまた元来のスポーツ好きに火が付き、自転車仲間も増えて楽しい自転車ライフを送ってます。

2013年には地元福島県で発足したロードバイクの年間シリーズ戦に参加。年間総合クラス2位になりました(最終戦まで総合リーダーだったんですが、最終戦で逆転されるという・・・)。





黄色い上着を着ているのが私です!


整体師を志したキッカケ

上記でも書いた様に、私はスポーツが大好きで幼少の頃からスポーツに親しんできました。

そういった中で、やはりスポーツに故障は付きもの。私も長いスポーツ人生の中で、身体の様々な場所に故障が発生しました。



高校生のある日、私は野球の練習中に膝を痛めてしまいます。

病院で靭帯の損傷と診断され、しばらく治療に専念。

そのうち膝の痛みは気にならなくなっていましたが、走っている時に膝が突然抜けるような症状が現れます。

少し走るだけで膝がガクンとなる事に恐怖を覚えてしまい、全力疾走はおろかランニングすらも出来なくなってしまいました。これはスポーツをする上では致命的です。


何とかならないかと思った私は、親から聞いた整体院に行くことにしました。


その整体師さんは高齢の女性でしたが、2~3回も通うと今までが嘘のように膝が何ともありません!

この事が自分の中で「整体師」を意識し始めた最初のキッカケと言えます。


そして私が脱サラをして整体の道に進む事を決意させた出来事が東日本大震災です。  


震災は私の人生観を大きく変えました。

身近な人の死、そして自分自身すらもあと少し行動が遅ければ今ここには居ないかもしれないという現実を目の当りにした時

「明日の事など分からないのだから、今を大切に生きたい」

と思うようになり、このままサラリーマンとして生きるのではなく自分がやりたいことをしていきたい 、じゃあ何をする?と考えた時に自然と「整体師」がハッキリと思い浮かんだのです。

それは今まで私自身が体の痛み不調を多く経験し、同じ事に苦しむ人の力に少しでもなりたい!同じ経験をしてきたからこそ苦しむ人の立場に沿った考え方が出来るという想いからでしょう。


私は整体の仕事に誇りを持っています。

沢山の笑顔に出会う為、これからも整体道を邁進していきます。

                 日立カイロプラクティック整体院院長  原 宏明



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